授賞式終了後の記念写真.
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受賞のご報告
第107回・学士院賞を受賞して
愚直なフィールドワークを認められてうれしいです
3月13日に日本学士院賞の総会で受賞が決まり、夕方に事務局から電話をいただきました。その数日前に、「候補者として推挙され総会に諮りますけど、認められましたらお引き受けされますか?」との丁重な電話の打診がありました。そのときは、学士院と学術会議を混同して、すぐに「はい、お引き受けします」と気楽にお返事しました。
賞状を塩野宏学士院長よりいただく
学術会議には、所長時代から何度か連携会員として推薦され、毎回落選していました。3度目か4度目の正直でとうとう(やっと?)お認めいただけたのか、というのが正直な気持ちでした。その翌日から、必要書類の提出などでやり取りが始まり、すぐに学術会議ではなく学士院だと理解しました。それほどまでに学士院とは縁遠いところで暮らしてきたということです。私の受賞は学士院賞だと理解して、はっと驚き、じわぁ〜とうれしくなりました。
学士院賞の歴史は古く、第1回が明治44年です。以後、戦争中でも一度も中断されずに続いてきました。そうした長い歴史をもち、授賞式には上野公園にある学士院まで天皇皇后両陛下がお出ましになられるので、とても名誉ある賞です(と後知恵の知ったかぶりです)。毎年10人ほどの受賞者が選れ、ほとんどが理系の方々のなかで文系は1人か2人だけ。今年は、私と、「南ガリア地方のキリスト教祭壇:5世紀から12世紀まで」の研究をする考古学者の奈良澤由美博士の2人が選ばれました。
私の受賞作は『草の根グローバリゼーション』で、「外からのグローバリゼーションの波に対して、内から(村人たちの力)はいかに対峙しうるか。フィリピン・ルソン島北部ハパオ村の実態をつぶさに考察した、深さと広さを持った労作」との評価をいただきました。奈良澤博士のお仕事は、フランス地中海沿岸の南ガリアと称される地方に残る、古代末期から中世盛期にかけて造られた総数454点の教会祭壇の悉皆調査です。そそれにもとづき、「地域的基盤に立つ祭壇類型の体系化に世界に先駆けて試み成功した」と賞賛されました。(『日本学士院ニュースレター』 2017.4. No.19, p.2)
今までの文系の受賞者のほとんどが、歴史文書や文献・資料(統計)などに依拠する研究であったのに対し、今年の2人の方法はフィールドワークです。自ら現地に出かけてゆき、生身の人間や現物と直接に接し、手触りをもって交流し(計測し)、知性・感性・体力・想像力を総動員して相手(対象)を知ろうとする。言ってみれば知的総合格闘技です。もちろん丈夫な身体と基礎体力も必要です。研究対象の社会・文化の総体と個別具体的な事例の深い洞察と理解を通じて、その背後に広がる歴史的・空間的なコンテクスト(世界の成り立ちと広がり)を明らかにしようとする点で、今年の2人の受賞者はとても似通った問題意識と方法で研究をしています。
フィールドワークは、私が専門とする文化人類学を支える方法です。また10年半奉職した京都大学も地域研究が盛んで、その方法を臨地調査と称しています。どちらの用語を使おうとも、それが支える研究の成果が評価されたことは、文化人類学と地域研究(もちろん考古学も)が実証的な研究として認められたことです。私個人の業績というよりも、先人・先輩たちが築き上げてきた膨大な研究の蓄積を基盤とする「フィールドの学」の一つの到達点として評価されたのだと思います。
『第107回受賞審査要旨』と題された小冊子に収録されている「社会学博士 清水展氏の『草の根グローバリゼーション ―世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』に対する授賞審査要旨」に、詳しい説明が記されています。本書の内容を的確に紹介したのち、授賞の理由を幾つか上げています。第一は、「全体として、このような僻村の村において”グローバリゼーション”といわれるものが、実際どのような契機、方向性をもってみられるか、外からのみでなく、内からの力のあなどりがたいことを明らかにしている」点です。
もうひとつは、研究対象へ深くコミットしてゆく人類学の調査研究のスタイルも評価されました。ピナトゥボ火山の大噴火(1991年)で被災した先住民アエタへの災害緊急支援と生活再建支援に、私自身がボランティアとして積極的に活動した経緯をふまえて描いた民族誌『噴火のこだま』(2003)に言及しながら、ピナトゥボからイフガオへ続く人類学者の25年の歩みに言及してくれています。
さらに「1970年代以来(の) – – – 長年のフィールドワーク」と、研究者が調査地の相手と「人間として等身大の関係に立ち、個人の生きざまを深く考察している」点、対象コミュニティーと隣接地域ならびに全体社会との位置づけもよく分かる点など、「今までの個別研究にない深さと広さをもたらしている」と評価してくれました。
授賞の趣旨は、現代社会が等しく直面するグローバリゼーションの進行(と環境問題)を、個別具体的な現場で見て考えることを続けてきたこと、そして「コミットメントの人類学」または「応答する人類学」の可能性と責務を自覚して自ら実践してきたことを評価し、励ましてくれるものでした。
さて、授賞式は6月12日(月)にありました。その前日には10時に学士院の会場に集まり、午前中は授賞対象の仕事を説明するためのブースで各自が陳列品の設置をしました。私は、テーブルにイフガオの赤い手織りの布を敷き、5点ほどの木彫や拙著などを置き、背面のボードには大判写真7,8点を張りました。昼食解散をして、午後は、1時半から式次第の説明と予行演習が2時間ほどありました。
本番と同じ進行で、まず受賞者が最前列に座り、一人一人名前を呼びあげられて壇上に上がり、正面の両陛下に頭を下げ、右手に二歩ほど進み、学士院院長から賞状をいただきます。そのまま後ろに戻り、再び両陛下に頭を下げてから、背中を両陛下に向けないように、後ずさりの感じで3段のステップを下がってゆき、席にもどる。階段を上がるのは問題ないのですが、下りるための足の運びが一度目は皆さんうまくゆかず、私もこけそうになりました。コツは、後向きにそのまま下がるのではなく、斜め前方に進むつもりで下がることでした。2度、3度やり直して練習する方もいらして、そこが難関で皆さん心配しました。いざ本番ではとてもスムースにできました。
京都大学学術出版会の鈴木哲也編集長(右)と
末原達郎理事長(京都大学名誉教授・左)とともに
式の当日は、9時半までに集合し、受賞者はモーニング・コートの正装に着替え、胸には黄色の菊の造花を飾りました。自身が結婚式を挙げたことがなく、仲人をしたこともないので、今回、生まれて初めてモーニング・コートを着ました。馬子にも衣装といいますが、着替え室の姿見に映った自分を見て、なかなか立派そうだなぁ、と思いました。
しばらく控室でお茶を飲んだりして過ごし、10時20分に両陛下の到着をお迎えするために、二階にある式場の入り口前に受賞者10人が移動して指定の位置に立ちました。奉迎の後、両陛下はしばし別室で休まれ、その間に受賞者は資料陳列室の説明ブースの前に移動。10時40分に両陛下が陳列室にいらっしゃり、各受賞者のブースを3分づつ回られて、その時に受賞者がご説明をしました。説明が1分、御下問へのお答えに2分、合わせて3分の時間厳守でと事前に指示されました。両陛下は、それぞれのブースで熱心に説明をお聞きになり、的確な質問をされていました。
私は、マカパガル・アロヨ大統領が、民族衣装を着て世界遺産の棚田をバックに機織りをする観光ポスターの大きな写真を貼っていましたが、それをご覧になられた皇后陛下が、昔、アロヨ大統領がまだ子供の頃にお会いしました、なつかしいですねぇ、などと天皇陛下に話しかけられていました。半世紀近く前のことを鮮明に記憶されていらっしゃるようで、驚嘆しました。
展示ブースで、式典参加者に自著の説明をする
授賞式は11時20分から始まり、学士院院長、内閣総理大臣と文部科学大臣の祝辞があり(それぞれ代読)、予行演習のとおり一人ひとりずつ名前を呼ばれて壇上に上がり、学士院長から賞状が手渡されました。30分足らずで式典は終わり、両陛下の退室をお見送りして授賞式が終了しました。その後は、そのまま会場で記念写真の撮影があり、一般の参加者(学士院会員、招待者、受賞者関係者ら)らが資料陳列室に来られて見学した後、地下ホールで祝賀パーティーがありました。美味しそうな料理の品々と、各種の酒類が用意されていました。が、受賞者の皆さんは歓談に忙しく、また午後には宮中で茶会があるからパーティーでは軽めの食事にしておくほうが良いですよ、と助言されていたので、料理にはほとんど口をつけませんでした。
そして、午後2時半に学士院をミニ・バスで出発して皇居に向かい、吹上御所で茶話会をしていただきました。茶話会といっても、お茶にお菓子、またはコーヒーにケーキなどではなく、前菜からデザートまで、量は少なめですが、6皿ほどあるフレンチのフル・コース料理でした。ワインと日本酒が出ました。受賞者10人は5つの丸テーブルに2人ずつ分かれて座り、それぞれに天皇皇后陛下、皇太子殿下、秋篠宮両殿下、宮内庁長官らが座られ、15分くらいずつ順番に席替えをされて、すべてのテーブルで受賞者と親しくお話しされました。
両陛下、両殿下とも、とてもよく勉強をされていて、受賞業績の内容もご存知で、相手に合わせた話題を選ばれ、さりげない気遣いを感じました。近くでお会いし、親しくお話しできたのは、今回が初めてでした。柔らかい物腰と優しいお人柄に強く印象づけられました。
河野泰之所長と、授賞式後の祝賀パーティーで
夜は、6時半から文科大臣が主催する晩餐会が帝国ホテルでありました。たまたまホテルの隣の部屋ではフィリピン大使館主催の独立記念日を祝うパーティーが開かれていました。晩餐会のあとにはそちらの方にも、ちょこっと顔をだすことができました。朝から夜遅くまで、いろんなことが凝縮して行われた一日でした。
最後に一言。非西欧のかつては第三世界や開発途上国と呼ばれた国のしかも山奥で、フィールドワークによる研究をする者が、今回、学士院賞を頂けたのは、先人たちの地道な努力と精進の蓄積があったからこそのこと。たまたま機が熟して、現地現場とそこに暮らす人々に接し交流・交遊し、深く理解する学の必要性と重要性が認められた、そして文化人類学と東南アジア研究のコミュニティーを代表してたまたま私が頂けた、と思っています。
東西冷戦が終わり、グローバル化とネオ・リベラル経済が世界中を席巻し、地球規模で大きな変化を引き起こしつつある今、マクロとミクロ、鳥の目と虫の目の両方をもつ複眼的なアプローチが不可欠です。ともすれば、文化人類学や地域研究では、ミクロな現地調査の手触りのある確かな現実、しかし狭い世界に耽溺して、より広い世界に訴えかける姿勢や意義を研究者自身も見失いがちです。私自身も例外ではないことを自覚し忸怩たる思いがあります。なので今回の授賞は、フィールドワークとミクロな調査から、逆に世界の今を広く見通す展望と、深く見極める視点を提示せよ、そのことに積極的にチャレンジせよとの励ましをいただいたのだと思っています。
清水展